中国の三大国時代、蜀一番の駿馬が町外れの農村に居るとの噂を耳にした孔明は、さっそく使者を向かわせた。しかし、駿馬の持ち主は連れて行くのを頑なに拒んだ為、反逆罪としてその場で手打ちになってしまった。
その時、愛馬だけでも逃がそうと最後の力を振り絞り、馬と鞍を止めている馬謖(ばしょく)を泣きながら切り離した事から、
「自分の利益よりも他人の利益を考えて、自分が犠牲になるよりかは、その結果が本当に相手の利益になるか分からないのだから、いっそ自分の利益にしてしまった方がお得と言うもの。だって誰しも自分が可愛いものだから、その為の多少の犠牲は覚悟をしなさい。」
という開き直りの意味を持つ。
長い物とは帯の事で、お殿様が女中を手篭めにする時の"服脱がしア〜レ〜の術"が由来である。意味は、長い帯ほど巻きが多くなる為お殿様をより興奮させる事ができた事が転じ、「相手を喜ばせる為に少しの小細工をすることで、より萌える」という意味を持つ。
ナメクジに塩をかけると小さく縮んでしまう。これは塩によって体内の水分が脱水を起こし小さくなるのだが、「人間は不快害虫を見るとそんな恐ろしい事を平気でしてしまう、とても残忍な生物である」という例え。また、「無機塩ダイエットは体の水分が抜けるだけで、本当に痩せているのか謎である」という意味も持つ。
「人間」とは「人間の世界」の意。「青山」とは「有名な紳士服店」である。つまり、「冠婚葬祭の多い世の中、何処にでも洋服の青山店はあるよ」という意味を持つ。
ヌカ味噌というのは、一日一回は底まで手を入れて、混ぜ繰り返さないと腐ってしまう。
昔、その役目は嫁の仕事だった。が、腕を底まで入れるのに抵抗があった嫁は、上辺だけを混ぜていた為、底の方か腐りだしたそうだ。これが転じて、「上辺だけの人間に対する人間関係は、その根底は腐りきっていて、もうどうしようもない。」という意味を持つ。
猫の手とは昔のマゴノテことであり、少子化の為背中を掻いてくれる孫よりも猫の方が身近にいる。また、たまにか会いに来ない孫よりも猫の方が良いという事から「猫の手」と呼ぶ。この諺は、猫の手が無いと届かない所が痒くてモドカシイ気持ちを表している為、物事が思うように進まない時に使う。また、「お婆ちゃんはマゴノテが何処にあるかも分からないくらいボケちゃったのよ」という意味も持つ。
これはかの有名な一休さんのビョウブの虎から来ている諺で、殿様から夜な夜な暴れ回るビョウブの虎を捕まえて欲しいと頼まれた一休さんは、虎を捕まえる準備が出来た後、殿様に「さぁ、虎をビョウブから出して下さい」言った。 それを聞いた殿様は、「ワシに命令するとは何事だ!」と御怒りになりその場で一休さんを手打ちにした。この事から、「如何なる場合も、目上の方には礼儀を尽くそう」という教訓である。
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