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浦島太郎

投稿者:ヤウジロウ氏


日本昔話で有名どころと言えば、「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」だろう。これは誰もが知っている、とても有名な物語ばかりである。そのなかで、今回は「浦島太郎」について語りたいと思う。

皆さんが良く御存知の浦島太郎とは、「海岸でカメを虐めている子供達に出会う。浦島は子供達からそのカメを買い、カメを助け海へ返す。すると、そのカメがお礼に龍宮城へ連れて行く。その海の奥底には絵にも描けない美しい城が建っている。そこで豪勢に楽しく暮らしたが、ホームシックになる浦島。しかし、乙姫が『ここを出ればもう二度と帰っては来れません』と言い、それでも帰るという浦島へ、玉手箱を渡す。そうしてまたカメに乗り地上へ戻ってきた浦島は、いざ家に帰ろうとするが、どうも景色が違う。そしてそこで知る衝撃の事実。それは浦島が消えてから300年も経過していたのだ。途方に暮れ、嘆き悲しむ浦島は玉手箱を思い出し開けてしまう。すると白い煙が立ち昇り、浦島はお爺さんになってしまう。」というストーリーである。

今、多くの出版社が出している子供向けの昔話は、その殆どがこのようなストーリー展開なのだが、この話から我々が得る教訓とは何であろう。

確かに、助けたカメに連れられて、深海の龍宮城で楽しい生活というのは夢がある。が、結局最後は300年という一人タイムラグを受け、孤独を味わうのだ。この先、家も無く誰も自分を知らないこの地で、寂しく生きていく浦島太郎は何を思うだろうか。それは「死んでしまいたい」だろう。

このストーリーは、カメを助けるという善行から始まっているにも関らず、そのような仕打ちで終わっているのだ。

どうしてこの様な結末に落ちてしまったのか。そもそもの原点は、カメを買って助けた事であろうか。黄金大国日本と呼ばれた象徴がいけなかったのだろうか、金さえ出せば物事を解決できるという、駄目な日本人の現れだったのかのかもしれない。

しかし、金で買っても、体を張って助けても、結果カメは浦島を龍宮城へ連れて行っただろう。

では、浦島は龍宮城から出なければ良かったのか。しかし、それでは浦島の所存を心配する者達の事を忘れている、実に身勝手な男で物語が終わってしまう。では、やはり最後に玉手箱を開けてしまった、約束を護れなかった浦島が悪いのか。やはり問題はそこへ来る。約束を守れないから、お爺さんになってしまったのだ。

昔話には「約束を守る」というのが重要なキーワードである。やはり、この場合も「約束は守るもの」という教えが含まれているのだろうか。だが約束を守った所で浦島が置かれた状況が変わる訳では無いのは事実。しかし、まだ浦島は二十四、五の青年である。若さがあれば、多少の困難も乗り越えていける筈だ。つまりは、そういうことなのでる。

浦島太郎の教訓は「約束は守って、後のピンチは若さで乗り切れ。」という事なのだ。

という事は、これを現代の子供に当てはめれば、「この先幾つもピンチがあるだろうが、お前等には若さがありパワーがある、そんなピンチは勢いで乗り越えろ。後の始末は面倒をみてる大人がしてくれる。だからもっと、ハッチャケろ!」という事になる。そう、現代の浦島太郎は、随分と熱血教訓なのである。

しかし、それは現在の浦島太郎ストーリーである。御伽草子に記載される、「浦島太郎ストーリー」はこうではない。

まず、浦島太郎は子供からカメは救わない。自分で釣り上げるのだ。釣で生計立て、親を養っていた浦島はある日、カメを釣り上げる。しかし浦島は、「鶴は千年、カメは万年といって、めでたい生き物だから助けるが、この恩は忘れるな」と言い海へ返すのだ。

すると、向こうから美しい女が乗った小船が漂ってくる。女は「家に帰りたいのだが、人に頼んでも断られ、こうして船を出したものの、女手では無理だから助けて下さい」という。

浦島は可哀想に思った浦島は小船に乗り、十日ばかり漕いだ先に、黄金の門が建つ城を見る。女は浦島を城の中へ招き、そこで浦島は女と夫婦の契りを交わす。

龍宮城で楽しく暮らす日々が続き、そうして3年の月日が流れる。そんなある日、浦島が30日の暇が欲しいという。つまりは、「故郷で突然姿を消した自分を心配しているだろうから、安心させてやりたい」という事だ。

しかし、女房が「ここを出れば二度と戻ってこれません。」と説得するが、決意の固い浦島は出て行こうとする。そこで、女房は「実は私は助けられたカメで、これは貴方の大切なものを封印してある小箱です」と人間で無い衝撃事実と、勝手に浦島の大事なものを勝手に封印したというカミングアウトをする。

寛大な浦島はそんな事はどうでもいいのか、別れを惜しみながら故郷の丹後へ帰える。

到着したがそこは全くの別世界。なんと浦島が消えてから700年も月日が流れていたのである。

途方にくれた浦島は、玉手箱を開けてしまう。すると箱から紫の雲が三筋立ち上り、浦島は鶴になってしまう。そして浦島は山へ向かって飛んでいき、その後丹後の神なる。

やがてカメも同じ神となり、夫婦の神明となって、終わりとなる。

これが、御伽草子の浦島太郎である。最後は年をとるのではなく鶴になるのだ。つまり、カメは万年、鶴は千年とめでたいものになって、神となればまた遇えるという悲恋のお話なのである。

たしかに、子供向けには恋物語は難しい。それ故にもっと子供に判り良く手直しを加えたのだろう。

また、中国にも同じような話があり、その冒頭はカメを籠に入れてオモチャにしていた子供等から買うシーンがある。現在の浦島太郎は、この中国の神仙伝奇小説を組み合わせたものだろう。

しかし、御伽草子が描かれた1383年後の事を考えると、それから700年。つまりは単純に2083年である。これを考えると、実はまだ浦島太郎は消えたままの可能性が高い。ノストラダムスの大予言では無いが、700年後の 2083年に突如丹後の海岸に身元不明者が出現するのだ。その人物は昔の漁師のような格好をしているだろう。そして驚くのだ。目の前には石の四角い山が建ち並び、鯨よりも大きい鉄の船が浮かび、大きな猪が道を猛スピードで走り、爆音を鳴らす鳥が空を飛び、小さな人が箱の中で話、ワンタッチで火が点き、夜になっても暗くならず、鬼の様な格好をした人間が住むのだ。それは死にたくもなるだろう。そうなれば、開けてはいけないと言われた玉手箱もどうでもよくなり、開けるというものだ。

それよりか、その700年で人間が海を汚したばかりに、陸に戻る途中でカメが生き絶え、浦島は海の藻屑。はたまた、小船を漕いで戻ったところを海上保安庁に捕まり違法入国で拘束されるだろう。威嚇射撃もされるかもしれない。もしかしたら、1383年に某国に拉致され、現在もコールドスリープされているかもしれない。

兎に角、この浦島から学べる事は一体なんであろうか。

何でも金で解決するべからずだろうか。また、金の使い方は考えろということだろうか。某国の様に、戦争に金を多量に注ぎ込んでしまったばかりに、自国が台風の災害で大惨事になった時、その災害に回すお金がなくなる事も有るんだよ。という教訓を予知していたのだろうか。

それとも、乙姫が船に乗ってやって来る所から、綺麗な女がフラフラと一人で歩き、向こうから話し掛けてくると、知らないお店に連れ込まれ、気が点けば自分の周りには東南アジア系のカタコトの日本語を話すお姉さん。そしてウーロン茶一杯に10万円とか取られるぞ、という教訓だろうか。

はたまた、親に音信も無く3年間突如消えたままにする親不孝者は、始めはワイドショーに取り上げられ、某国の拉致じゃないかと騒がれ、FBIの超能力捜査員の力を借りて透視捜査をしたり、島田伸介の番組が全力を上げて探したり、世間に多大なるご迷惑をお掛けしてしまうという事なのだろうか。

もしくは、豪邸で美女と夫婦になり、毎日豪勢に楽しい月日を送るという美味しい話の教訓として、モロ画像見放題、完全無料のエロサイトというボタンを何の疑いも無くクリックすると、突然赤い文字で「登録完了」と出て、今日が金曜なのに「月曜までに月額6万円振り込んでください」という請求。そして「払わなければ勤務先、または直接自宅に集金しにいく」という怖いメールを受取る羽目に。または、希望エロ画像掲示板に貼り付けられたURLの拡張子も確認せずにクリックした為、パソコンがウンともスンとも言わなくなるという教訓だろうか。

そう考えると、浦島太郎は現代の大人達が読むべき物語なのではないだろうか。

現に御伽草子はどちらかと言えば、不満をもった大人達の吐き溜め的な本でもあった為、子供のみならず、大人への普及率が高かった筈だ。そう考えるに、もともと悲恋という対象年齢が高い浦島太郎は、現代の浦島太郎と共に、子供ではなく大人の浦島太郎として販売しても良い筈である。

その物語の中盤には乙姫との卑猥話も含まれれば、真の大人本として成り立つ筈である。また、そのような展開があってこそ、最後の仕打ちが大きく反映し、また本髄である悲恋もより浮き立つのである。

そうして、「大人専用版 浦島太郎」を読んで、オレオレ詐欺や、悪徳商法、ターニングポイントの正解を選択する方法、世の中そんな美味い話は無いという事実を最実感するべきなのである。そう、悪徳企業は次々と新しい手で我々を狙っている。つまり、自分の身は自分で守り、常に警戒を行い注意しなければならないのだ。

そんな大人の教訓本として、「大人専用版 浦島太郎」の販売を私は強く希望する。

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