投稿者:ヤウジロウ氏
人間の生理的現象であるオナラだが、このオナラには有名な説が存在する。
その説とは「音を出さないオナラ(以後スカシと略す)は、音を出したオナラよりも臭い」というものだ。
オナラとは満員電車の中、重量オーバー限界のエレベーターの中。音も無く忍び寄る罠である。それは何処と無く漂い初め、密接した空間の中で悶絶苦悶の時間を与えるのだ。
満員電車の中ならば、多少広い空間のうえ空調が効いているので匂いも散漫しやすいが、エレベーターとなるとそうはいかない。それほど広い空間でもない小部屋に多人数が押し込まれて、その中で広がる異臭。押したボタンの階までノンストップのエレベーターはチョットした拷問部屋と化す。只でさえ異臭騒ぎが多発している昨今の社会では、その異種を捕らえるのは安易な事ではないだろうか。
しかしその様な状況下で一番怖いのは、匂ってきた素振りをしたら負け感覚に陥る事である。例えば、耐え切れずに降りる筈の無かった階のボタンを押してしまったり、咳払いをしてみたり、チョット動いてみたり。その様な微妙な行動は、周りからこいつが犯人だと思われてしまいがちなのだ。つまり、そのような究極の状況に陥った時、日本人の悪い癖なのだが、自分は絶対に犯人と思われないように行動してしまう。また、そう思われない様に他人に気を配り粗探しを始めるのだ。
粗探しとは、狭い空間の中で緊張が極限まで高まると、他人の息遣いまで気取れる程意識を集中する。その状況が全員で行われる訳だから、誰かが動くと全員の意識がその人へ集中し、誰もが「コイツが犯人か」と思う。もちろんその人が犯人であると言う証拠も確信もないが、その様な状況に陥ると、誰かが崩れてくれる事で自分は安全なのだという安心感を得る事ができるのだ。つまり、究極の緊張感にいる段階では、誰もがレッドライン上に立っており、誰かが素振りを見せた直後、彼が犯人であっても無くても全員でそのレッドラインから叩き落すのである。そうする事で他の人たちはセーフティーゾーンに入れるのである。
言い換えれば、自分が助かりたい一心で他人を蹴落とす様に仕向ける、一種の緊急非難と呼んでもよいのかもしれない。オナラとはこの様にして時と場合により他人に身を切るような恥をかかせてしまう生理現象なのである。
そこで思い出してもらいたいのが、冒頭でも述べたように音を出さないスカシより、音を出した方が匂わないという説である。
つまり、先ほど語ったエレベーターの緊張状態になるよりは、あえて音を出して匂いを現象させた方が親切行為ではないだろうか。そもそも何故音を出した方が匂いが少ないのかと言うと、オナラに含まれる主成分メタンガスが音を出すことで減少するからである。音が出る仕組みは、お尻の皮膚と皮膚がオナラを噴射する勢いで振るわせる為に起こるものである。つまり、この摩擦運動によってメタンガスが消費され匂い減少に繋がる訳である。
もちろん、音がするということは、オナラをしたという確証であり、音も無く漂わせる行為よりも、予め臭くなるという心構えが体で起こるのだ。
人間の五感とは常日頃使われているものであるが、何もない空間に置いて匂いだけを漂わせると、全神経が嗅覚に集中しその匂いを嗅ぎ分ける。その嗅ぎ分ける事により、オナラと判断する訳だが、この時全神経を嗅覚に集中してた為、普段よりも嗅覚の敏感度が向上してしまっているのだ。それ故に、それほど臭くないオナラでも臭いと感じる事が多い。
つまり、先に音を出すことで聴覚刺激を与え、オナラが出たという情報を与えておく。もちろんオナラとは臭いものだと誰もが認識している為、嫌悪感を抱き本人の意識とは関係なく、鼻孔を閉めたりするのである。
この様な身体的特徴、またメタンガスの減少によって音の出すオナラの方が臭くないという説が誕生したのである。つまり、オナラは音を出すべきなのである。その方が周りにもより親切だとは思わないだろうか。
オナラが出てしまうのは生理的現象なので致し方無い。するなと言う方が無理である。そう、他人を思うならばこそ、音を思いっきり出し、匂いを消し飛ばすべきなのである。
そしてこのメタンガス減少とは、環境問題削減にも繋がるのである。ゲップやオナラが大気汚染に繋がるというのは御存知であろうか。工場や車の排気に比べたら比でないのだが、それは確実に汚染する。
音を出すことでメタンの量が減ると述べたが、これは匂いだけでなく大気汚染も防げるのである。世界ではエコライフ、エコライフと騒がれているが、これほど誰もが簡単に始められるエコライフがあったであろうか。そう、オナラを音に出してするだけで、それも我等が地球の為になるのだ。この簡単だが恥ずかしい第一歩が大切なのではないだろうか。
我々が今頑張る事で、次の時代はオナラは音を出して当たり前、音を出さない方が恥ずかしい時代がやってくる。
オナラが出るというのはとても大切な事なのである。健康のバロメーターと言ってもいいだろう。腸内細菌が頑張ってお仕事をしている返事のような物である。それを恥ずかしがる所が何処にあるだろうか。大きな音を出すオナラは、今日も体は元気だと皆に教えているのだ。
そのうち学校の出席も名前を呼ばれたらオナラで返事をするようになるだろう。小さい音しか出ない子は今日は体調が悪い、大きな音が出た子は今日も元気だと、先生も判断しやすい。
オナラとは恥ずかしいものでは無い。恥ずかしいと我々が勝手に思い込んでいるだけに過ぎないのだ。オナラとは動物ならばする行為である。その何処に羞恥心を感じる事があるであろうか。堂々と音を出してオナラをすればよい。周りの人はそれを聞いて、「今日も元気だね」などと相槌を打ってやればいい。
但し、愛すべき御馬鹿小学生達はその元気さをアピールすべく、どれだけ大きな音が出せるか選手権などを開くだろう。一番という勲章を手に入れるが為、昼からオナラを我慢し、腸内にオナラを充満させるのだ。そして放課後の選手権開始だったのだが、顔を真っ赤にして力んだ結果、下校は何故か内股でモジモジしながら帰宅する事になる。そんな時はどうかお母さん、怒らないであげて欲しい。何故ならば彼が勝利という名の二文字を目指した経緯なのだから。軽く肩を叩き、「次はもっとお尻を閉めて頑張りなさい」などと一言かけてやって欲しい。
だが、大人な皆さんはどうか無理をせず、体の成すがまま、大きなオナラをして頂きたいものだ。
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