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投稿者:ヤウジロウ氏
【 妄想 】
(1)〔仏〕 精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断。妄想分別。
(2)根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。分裂病・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容があり得ないものであっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。
【 想像 】
頭の中に思い描くこと。既知の事柄をもとにして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること。
【 空想 】
(1)現実にはありそうにもないことをあれこれ頭の中で想像すること。
(2)〔仏〕「空見(くうけん)」に同じ。
「GOO辞書参考」
と、本論題のテーマと、その近い分野を辞書で調べた結果がこれである。
しかし、この辞書に記載される様な使い方を実際しているかといえば、いささか疑問が残る所である。
そんな中、我々は何気ない日常で妄想をしていることをご存知だろうか。
何気なく女性を見ていたら、「お前、なに妄想してるんだよ」という友達からの突っ込みは基本。別にそんな気は毛頭無いのは言うまでもない。このような事態に、その人のキャラクター性が前提にあるのは勿論だが、人が惹かれるものを直視したり、凝視したりしていると、妄想していると思われることが多い。
前文の例で言うならば、思春期の男子Bが女子Aを見ていた。男Bが「可愛いな」と思うとする。これは妄想だろうか。いや、これは感情である。しかし、そこから発展し、「あの子にあんな事や、こんな事」と考えるのは妄想である。
それを見ていた男友人Cが、ニヤニヤとスケベ顔している男子Bを見て「何か変な事を想像している」と判断。その思考を考える。
この場合、友人Cが男Bを見た時に思う所とは想像である。しかし、状況から想定し男Bの情報(男Bが女Aに好意を寄せている等)などもスパイスに加わり、想像は膨らんでいく。その結果、友人Cは「男Bが何ことを考え(妄想)している」という結論に達する。
日常ではよくある展開だが、この時に友人Cの脳内では何が構築され、どう変換されたのかを考えてみよう。
男Bが女Aを見ている現場を目撃し想像する友人C。そこでCは「コイツは確かA子の事が好きだった。」と思い出す。(情報のスパイス)「そしてその男Bが女Aを見ている。ニヤニヤしている。という事は、何か変な事を考えている。」と推察する。(状況と経過のスパイス)つまり、女Cをオカズに妄想に耽ていると判断するのだ。
この結論に達するまでに、事情を知っているものならば直に辿り着ける筈である。また、事情を知らない人であっても、しばらく男Bを観察する事で、その妖しさから同じ結論に行き着くはずだ。
その時の友人Cの考えている事は、想像であろうか妄想であろうか。これは妄想である。
なぜなら、男Bが女Aに対して何を考えているかは置いておいて、友人Cは一回男Bの立場になって女Aを見ている。そして友人Cの中で男Bを作り上げ、頭の中で転がすのである。その結果、イメージ男Bは女Aに対して良からぬ事を考えている結果に落ちる。しかし、それを考えているのは友人Cである為、結果、妄想をしているのは友人Cであることが分かる。
何がいいたいのかと言うと、誰かが妄想している現場は回りも妄想をするという事だ。つまり、妄想の連鎖反応が発生するという事である。
他人とのコミュニケーションをする時、相手が何を伝えたいのか考える。これは、瞬時に相手の立場にたって考える行為である。
年を重ね、人とのコミュニケーションを重ねる事で、この処理速度は上昇する。こうやって、コミュニケーションがスムーズになるのだが、この処理速度が上がるという事は、それだけ早く妄想しているということになる。つまり、話が上手く切り返しが上手な人は、妄想力が強いのである。
では、妄想力が強いと何ができるのだろうか。ここでは例としてTVのSFアニメや特撮ヒーローを挙げよう。
TVから情報として送られる非現実的な世界を見ると、同時に自分の中に新たな妄想世界が誕生する。(妄想の連鎖)妄想とは人間にとって快楽である。故にヒーローが活躍する戦隊物はヒットするのだ。
しかし、妄想の連鎖を引き起こす為には、創り手の欲が詰め込まれた作品でなくてはならない。欲から生まれた妄想はTVの力によって現実化し、それが相手(視聴者)にぶつけられるのだ。そして受け手がそれを更に膨らます。
もしこれで受け手側の膨らんだ妄想を、相手に返してあげることが出来たならば、これは立派なコミュニケーションではないだろうか。
ここで定義する妄想とは、受けて側、送る側にあると考える。
つまり、妄想とは創り手側で構築する世界であり、その作られた世界を受取る側は自己修正をかけながら膨らます。こうして、相手から受取った妄想情報を自分なりに咀嚼し、自分独自の世界を構築するのだ。こうする事で、文化というものが生まれたり、その人の個性が生まれたり、作品が生まれたりする。
つまり、人は妄想と共に生きている。妄想が人を作っている言えるのではないかとい事である。妄想する事で、人は自分にとって都合のよい世界を構築することができる。こうやって人は欲求を満たすのだ。
しかし、その欲が強く妄想世界だけでは我慢できず、現実世界に行動が走ってしまう。これは犯罪である。
人はその妄想世界の中では主人公なのだ。束縛がある現実世界から逃れる術として妄想力を有しているのだ。では、何故この妄想力を伸ばさないのか。これを伸ばし許容量を拡大すれば、現実世界での犯罪は起こらないのでないだろうか。
妄想世界で満足することができれば、現実世界での犯罪は激減すると考える。
しかし、現状況では現在妄想力が乏しい人が多い。だから犯罪が増えるのだ。
では何故妄想力が低下してきたのか。
それは、詰め込み教育であったり、他人とのコミュニケーションを取る場が少ないからだと私は考える。先ほども述べた様に、コミュニケーションは妄想の連続である。つまり、コミュニケーションを取れないが為に、妄想力が育たない。確かにコミュニケーションの場が少なくなったとも言える。しかし、その様な環境を作ったのは、他でもない我々である。そしてその被害を一番に被っているのは子供達ではないだろうか。
良き学校へ、学歴を優先し、それは古い考えである。今は人間性が重視される時代なのである。
しかしそれにはコミュニケーションは不可欠である。仮にエリート学校を主席で卒業しても、コミュニケーションが下手な人間より、馬鹿でも人間味があった方が使いやすいのが事実だ。
近年の低年齢層の犯罪が急増しているのは、これが原因なのではないだろうか。また、幼稚な妄想しか出来ない人間が下手に年だけとった為、妄想の許容量を越える情報を手に入れ、犯罪に走る。しかも、それが狙うのは妄想力レベルが同じ位の人間。つまり幼児である。
もっと、妄想力を鍛えるべきなのだ。その為に、もっとコミュニケーションをとり、自分の意見を発言すべきなのである。その発言に正解、不正解は無い。なぜなら自分の世界は正しく正義であるからだ。しかし、それは発言として外の世界に出た瞬間、その効力は無効になるのは言うまでもない。これを無理維持すると、人間性を疑われる結果となる。また逆に、それに賛同する同士が集う時がある。それは宗教の誕生であったり、国の誕生だったりする。
人はもっと妄想すべきである。自分が主人公の世界を構築すべきである。そしてその世界で持っている自信をリアルでも持つべきである。妄想すれば妄想するほど、魅力的な人間になれるのだから。
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