投稿者:ヤウジロウ氏
秋といえば食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋と様々だが、秋と感じさせるものと言えばやはり紅葉ではないだろうか。
モミジやイチョウが紅葉し始めると、秋が近づいてきたと感じるだろう。そして我々は紅葉狩りと称し、山に登り紅葉を堪能するのである。
この「紅葉」という現象はあまりにも我々の身近な自然現象一つであるが、何故秋になると葉は紅葉をするのかご存知であろうか。
まず、紅葉をする木は落葉樹である事が知られている。つまり、葉が大きく広いものである。この広い葉が実は落葉の大きな鍵なのである。
植物は光合成をしているのはご存知の事と思う。葉で太陽の光を受け、二酸化炭素を吸って酸素を出す。小学校でも習う植物のお仕事だ。しかし、この光合成は同時に葉から多量の水分を蒸発している。つまり、日照時間の多い夏ならば、光合成をしてエネルギーを得る代わりに、それ相当の水分を蒸発できるのだが、日照時間が少ない冬になると、光合成はできないし葉から水分はどんどん蒸発していくしと、植物にとって利益が少ない無いのである。そこで植物は、それならばいっそ葉を落としてしまおうと考えたのだ。そう、これが秋の落葉なのである。
では、何故色を変えて葉を落とすのか。植物はただ葉を散らすだけでは芸が無いと、色を変化させ我々人間の目の保養を施しているのか。まさかそんは事は無い。そもそも話は逆で、紅葉があるから落葉するのだ。
思い出して欲しい、紅葉した葉はハラハラと宙を舞い、地面に落ち行く姿を想像しないだろうか。そう、紅葉すると落葉するのである。これは、先ほど述べたように、植物が冬の準備をする為葉と枝を繋いでいる細胞が変化し離層を形成するのだ。離層を形成すると葉に枝から養分が行かなくなり、葉に残った糖やアミノ酸が変化する。この変化した物質が赤の色素の素になっているのである。黄色は、緑色の葉緑素が分解して枝に移動する時、カロチノイドだけが葉に残り変色するという訳だ。そして、枝に葉の残留養分を回収され、切り離されるのである。これが紅葉、落葉の流れなのである。
ここまでの話を簡単に言うならばこうだ。木は会社で葉は社員である。
そう、売上が良く金の廻りも良かったバルブ時代、日本が浮かれ切っていたあの時代が夏ならば、不景気は寒く厳しい冬である。
あの懐まで暖かかった夏に比べ、時代は流れ冬が来る。それまで社員は採れるだけ採っていたが、バブルが終了すると、幾人の社員に払う給料が不足してくる。そう、会社の収益が少ないのに社員の給料の方が高いのだ。このままでは潰れてしまうと考えた会社は落葉という名のリストラをするのである。リストラまでの期間、厳しい給料の中、汗水垂らして働かせておいて、必要がなくなればポイである。そう、残るのは妻と子供、そして老いた両親の面倒である。問題だけを残した社員はそのまま宙をヒラヒラと舞、やがて地面に落ちるのである。
なんと木は酷い事をしているのだろうか。紅葉をバックに楽しく記念撮影などしている場合では無いだろう。それは今の社会でいえば、背広を着て毎日出勤をしているが、実は公園のベンチで一日時間を潰している、リストラされた事を未だ家族に話せないでいるお父さんをバックに、記念撮影しているようなものなのだ。なんと酷い、なんと切ない事だろうか。
有名な話で「あの葉が落ちたら僕は死ぬんだろう」という病弱な少年の涙話があるが、あれも言い換えれば「あの人が会社をリストラされたら、僕は死ぬんだろう」という、さも意味深な話になってしまうのだ。なんと重く暗い話なのだろうか。
さて、落葉がいかに現代社会に当てはまった現象であるかが判った所で、逆に木にとっての紅葉を考えてみる。
先ほども述べたように、紅葉とは葉の養分が幹に吸い取られている現象である。つまり、木から見ればもう絞り取る物も絞り尽したのが紅葉した葉である。そう、人間の体で言えば、食べ物を消化吸収し、それ以上搾り取れない物、つまりウンチである。木のウンチは紅葉なのである。
それを人間は拾い集めて葉の貼り絵を作ったりする。木からしたらそれほど恥ずかしい事は無い。自分の排泄物を張り合わされて、運悪ければ大勢の人にその貼り絵を見られることになるのだ。確かに人間でいう所の垂れ流し状態であるが、「態々それを回収しなくても良いではないか」ときっと木も思っていることであろう。
小学校の図工の授業で落ち葉を集めて絵を作った事があったが、あれは木の糞を使った授業と考えると少しゲンナリである。
しかしこう考えてみれば、木は至極無駄の少ない生物なのである。栄養を取れる時は頑張って栄養を摂取し、冬に近付けば無駄なものを排除し冬眠に備える。そして排除されたものは地に落ち腐敗し土に返りまた春先に栄養として摂取される。これが自然界の小さな循環なのである。
それはまるで貢がせ上手な奴の様に、あれが欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいと、散々高いブランド物を買わせるだけ買わせておいて、お金が無くなると直ぐにポイ。そして捨てられた彼は借金地獄の地に落ちる。そしてまた、同じような手口に引っかかってしまうのだ。強欲な人間と懲りない人間の小さな循環である。
この様に、落葉樹は様々な見方をする事ができる。また、言い換えれば今の社会の縮小図と言っても過言ではあるまい。このようにして我々の目を楽しませてくれる紅葉であるが、その真実はあまりにも悲しく重い話であった。
これで今後は、より一層の紅葉を楽しむ事ができると思う。皆さんも、紅葉を見た時は少しゲンナリしていただければ幸いである。
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