投稿者:ヤウジロウ氏
今回はいずれ訪れるであろう、「日本飢餓」について語りたいと思う。しかしその前に、世界的に問題となっている「飢餓」について少し勉強しておこう。
現在、世界人口の8人中1人が飢餓で苦しみ、1日平均2万人が死んでいるそうだ。この実態を由々しき自体と感じていない連中が多い。それは、我々日本人が富んだ環境にいるからである。
世界レベルで見ると、貧富のさほど激しい格差は無い。一位は何といっても米国である。米国がこれほどの経済格差をもたらしたのは、その米国式産業にあるのは有名だ。つまりは大量な物作りである。
現在、米国で大量に生産されているのはトウモロコシで、その殆どは家畜の餌として使用されている。美味しい穀物を給餌すれば、美味しい肉が出来上がるという結論から来る産業理論である。日本の"霜降り和牛"も同じ効果で作り上げられた畜産物である。通常の倍以上の給餌をし、筋肉まで脂肪を行き届かせた肉が"霜降り"である。この飼育方法は米国が持ち込んだ手法である事は言うまでも無い。
さて、ここで問題とするのは、この家畜に多量に与えている穀物を全国に分配するとどうなるか。という所である。すると、データー上では世界人口に食が行き届くばかりか、その消費量の倍以上も余るという事実である。つまり、家畜への穀物分配を半分にし、世界へその半分の穀物を分配すれば、飢餓は無くなるのではないかという事である。
実際のデータではその様な結果が得られると思われる。飢餓は無くなる事だろう。が、その代りに世界中の経済レベルは低下するはずである。つまり、米国の代表的輸出産物である牛肉の質や量を減らし、その餌を経済力の無い国へ流すのである。儲けは勿論あるはずが無い。
「世界レベルの問題なのだから、皆で助け合うのが人間だろう」という聖者は既にいない。貧しいものに自分のパンを分け与える者は最早聖書の中の話である。隣人も愛せず、手を貸す事も無く、所詮は現在の自分の生活水準を脅かすような、大規模な変動は受け入れ難いと感じているのである。
しかし、そんな悠長な事をいっている場合では無いのだ。実際いつ日本も飢餓に襲われるか解からない恐怖に晒されている。
現在の日本の自給率は20%近くまで低減している。もしこの状況で大国同士の戦争が起こったら、輸入価格は上昇し、何も買えなくなってしまう。それどころか、商品すら入ってこない状況になる。すると、国民に供給できる食べ物が国内生産物のみとなり、4人中1人しか食べ物にありつけない環境がやってくる。あの裕福であった環境は終わり、皆石を食べて空腹感を満たし、金を持っていそうな奴を見つけては襲う。政府に対して奮闘が起こり、紛争が勃発。秩序は乱れ、無法地帯と化す。そんな未来が果たして、この平和ボケした日本人に見えているだろうか。
それでは、「みんなでホームレスをすればいいではないか。」などというトンチンカンな回答をする、馬鹿者がいるだろう。そもそもホームレスとは、裕福な環境における産物である。裕福さゆえに、食糧を余らせゴミとして捨てる。そのオコボレがあるからこそ、生活ができるのである。皆が皆、同じ生活水準に陥ってしまったら、誰がゴミとして食べ物を捨てるのだろうか。そいう馬鹿な回答をする人間は、この先を生きていても仕方が無いので、とりあえず今の内によく肥えて、来る日本飢餓に向けて、人肉供給の礎と成るがいい。
日本が定義する戦争の無い国が最近イラク派遣で揺らいでいる。経済制裁を訴える拉致被害者の懇願により、今世界中が動こうとしている。
某国が日本にミサイルを撃ちたくなる気持ちは良くわかる。故に、いつ戦争を勃発させてやろうかという気持ちもよく解かる。それに便乗して、一緒に戦争したいという米国の気持ちも解かる。所詮は戦争に勝てば経済がよくなるというメリットがあるからこそ、人間は戦争をするのである。米国に負けたにも関らず、経済発展を遂げた日本は非常に稀な国である。
つまり、この緊迫した世界情勢の中、いつ戦争が勃発し、都心にミサイルが落ち日本経済が低迷するかは、明日の出来事なのだ。日本は着膨れしたガリガリの少年である。外見からは、着膨れでデブに見えるが、着ている服を脱がされると、実はガリガリのマッチ棒の様な体なのだ。
それでは、まとめに入ろう。冒頭で述べた穀物を全世界へ分配するという行為は、不可能である。それを行えば経済水準は乱れ、やはり日本飢餓は起こってしまう。しかし、このままボケーっとしていても、明日にも降ってくるであろうミサイルによって、日本飢餓はやっぱり起こる。
では、どうしたら良いのか。
今すぐ家庭菜園を始めなさい。ガーデニング結構です。そして庭がある家は、畑を作りなさい。マンション、アパート暮らしの人は鶏などの家畜を飼いなさい。そして、土地を多量にもっている人は、田んぼを作りなさい。
つまり、農業の分配法則である。住む建物や場所によって、家庭菜園が出きる人はミニ野菜を、庭がある人は畑を、土地が無い人は室内家畜を、土地がある人間は日本人の主食である米を作るのである。
これは後に法律化されるのだが、既に市や県の条例に基き施行されている地域もあるほどだ。
これは日本だからこそできると考える。そもそもは江戸時代の原点へ帰るのだ。各家が自分が出きる範囲の産業を行う。そして収入を得て、食を得る。腕と土地鑑がある人間は、魚や獣肉を採るだろう。そうやって、国内生産率を向上させていくのだ。
この狭い日本で、現在の人口を養うだけの食を補うのは、現実無理である。故に、一時の日本飢餓が起こるのは仕方の無いことである。そして、国内総生産と人口との均衡が取れたとき、日本は始めて自律を果たすのである。
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