投稿者:ヤウジロウ氏
皆さんがこの論文を見ているという事は、インターネットが出きる環境に居るということであろう。最近では各家庭に一台とまではいかないまで、それなりに日本にも普及してきた。
インターネットとは至極便利な技術である。頻繁に使うものといえば、電子メールであろう。普通の手紙とは違い、直に相手に届く。また、そのメールにその他の情報を添付して送る事もできる。簡単に言えば、手紙だと2、3日かかっていた物が、送った瞬間相手に届いているのだ。また、手紙では送る事のできなかった CGなどの平面では表せない情報も、メールに添付する事で送る事ができる。また、インターネットは情報の溜まり場である。検索項目を走らせれば、必ずと言っていいほどヒットするものだ。その情報量は多彩で、政治、経済、ファッション、料理、ゲーム等、遊びから勉学まで幅広い分野が存在する。
さて、我々に身近になってきたインターネットだが、最近の小学生は授業にその過程が含まれ、パソコンを操作する授業があるそうだ。確かに幼い頃から触れておく事で、やがて就職する頃にはパソコンの腕も上達している事であろう。と言うのも、既に社会はパソコンを操作出来ないと話にならない。現に就職活動の一時審査も、メールで自己PRを作成し企業に送る事が前提である。これが最低でも就職したらメールの使い方くらいは出来て欲しいという、会社の意思表現なのかもしれない。
このように社会がインターネットを取り入れた様に、今やゲーム業界もインターネットに注目している。
インターネットゲーム。日本ではつい最近噂されるようになったゲームだが、韓国などでは既にその国民の若者殆どがプレイしているほどの人気度だ。そもそもネットゲームとは、従来の家庭用ゲームとは大きく異なり、対戦相手を世界へ向ける事ができる。今までならば、学校の友達や塾の友達と集まり、4人対戦用ゲームをコントローラ回し回しで遊んだものだが、このネットゲームならば、リアルタイムに繋いでいる人が世界に一人でも居れば、その人と対戦が出来るのである。つまり、見ず知らずの人と約束もせずに対戦が出来る。逆を言えば、学校や塾等で友達と遊ぶ約束をしなくてもいい、という事である。ここが今回のポイントなのだ。家庭用ゲームが普及する前は、外で友達と遊び、泥だらけになって帰ってくる、家でゴソゴソしている子供は「オタク」という印象を根付かせていた。それは丁度今の大人たちの時代であろうか。家庭用ゲームが普及し始めると、家に引き篭もる子供たちが多くなり、オタク志向は強まった筈だ。しかし、学校では既にゲームのクリア情報を交換する場になりつつあった。その頃が、丁度時代の流れが変わる境目である。友達との会話はゲーム話が主流になり、ゲームを持っていない子供は話に乗り遅る。つまり、時代の波に乗り遅れたのである。それは次第に子供同士の付き合いを分ける大きなポイントにもなった。
時代は流れ、各家庭に一台はゲーム機が有る時代になると、外で遊ぶ子供など微々たるものになったものだ。誰かの家で新作ゲームが手に入ったと聞けば、皆でその子の家に集まり、ゲームを楽しむ。次第にそれを大人達は当たり前の光景に思え、逆に集まる友達の数に、「我が子には友達がいる」という安心感に摩り替っていくのだ。しかし、その安心感もネットゲームの普及に伴い変化していく。
ネットゲームは先ほども述べたた様に、友達が居なくても遊べるゲームである。最近では、友達とゲーム対戦をする子に対し、ゲームを一人で遊ぶ子供は暗い、という考えがあったが、ネットゲームはネットに入れば誰かが居るものだ。そこには顔も分からない、歳も分からない、本名も分からない、分からないものだらけのプレイヤーが居るのである。そんな不透明なプレイヤーとパーティーを組み、共に冒険へ旅発ったりするのである。
このネットゲーム、ゲーム業界からすれば今度を左右する時代の分かれ道であろう。そして各社がネットゲームに力を注ぐ頃には、子供たちは我々が家庭用ゲームに夢中になったように、ネットゲームに夢中になるのだ。するとどうだろうか、ネットゲームは確かに誰と約束をせずとも人が居て、見ず知らずの人に出会う事ができる。また、年齢層も幅広い為、色々な所で違った意見を聞く事の出来る場でもあろう。そういった意味では、ネットゲームは遊びながら、色々な人と出会い多くの人格に触れる事の出来る画期的ゲームのように思えるかもしれない。だが、所詮はゲームである。嫌になれば端末を切ればリアルに戻る。つまり、いつでも投げ出せるのがゲームなのだ。
リアルとバーチャルの区別がつく歳の人は良い。だが、これが小学生とかならばどうであろうか。ゲーム用にリセットが効く世界とリアルでも思い始め、また、ゲームは端末を切ることでいつでも投げ出せる、そんな自己中心的な世界なのである。人付き合いも嫌になれば切ってしまえばいい。ネットゲームをやり込めばやり込むだけ、自己中心的な感情が芽生え、人付き合いが下手になる。バーチャルでは自分をさらけ出せるのに、リアルになると上手く自分を表現できなくなる。そんな子供たちが急増するのだ。それだけでは無い、リアルとバーチャルの区別がつかない子供は、包丁を片手に町に飛び出し、待ち行く人に切りかかるのだ。敵をあっさりと殺してしまうゲームの中では、命の重さなど無い。それ故に、少年犯罪は多発する筈である。
時代もその頃には大きく変わっているだろう。家に引き篭もる子供たちがオタクと思われるのではなく、外で遊ぶ子供の方が、オタクと呼ばれるのである。社会もパソコンの前に座っているだけで仕事が出来る時代がやって来る。その頃には、早朝ジョギングをする人にも健康オタクという名称が付けられるのである。運動する事を忘れた人間は、手足の筋肉が痩せ細り、脳は大きく進化する。環境が悪くなり、鼻毛等が伸びる。人付き合いをしなくなった為、性格は悪くなり、最悪な人種に育つのだ。
これが時代の流れる先の我々である。インターネットをするのが悪いという訳では無い。しかし、それ故に得る物と失う物があるという事を理解して欲しいのだ。我々が大人になった頃、クソ生意気なガキが増殖しないよう、自分たちが確りとしなくてはならない。また、その様な子供たちを、昔のように口から血が出るくらいのクリテカルパンチで引っ叩けるような、そんな教育が出来るような時代に戻すべきである。でなければ、日本の未来は腐って行くであろう。腐ったミカンはその体から周りをも腐敗させるガスを出す。「お前は腐ったミカンだ!腐ったミカンは周りをダメにする!」といった様に腐ったミカンみたいなガキンチョ野郎は、発見次第、即踏み潰し今後の日本を救うのだ。
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