投稿者:ヤウジロウ氏
誰しも血液型を持っている。血液型を知る事で緊急時の輸血で大いに役立ったり、献血の際で血液型が判らないと困ったりする。しかし、その場面以外で我々が血液型を気にするといったら、血液型占いくらいなものだろう。
血液型とは全部で4種類。A型、B型、AB型、O型であるのは御存知の事と思う。だが、何故血液型は何故4種類もあるのだろうか。
血液型が4種類もある事で、輸血ができたりできなかったりするのは御存知の事と思う。もし、A型の人にB型の血液を輸血してしまたら、A型の血は凝固を始めその血液の流れを止める。結果、酸素の運搬が止まり、最悪死にいたる事もある。その後、病院は謝罪の会見を開き、医療ミスの実態を明らかにし、患者の確認と血液等の確認を徹底するという基本的な事を宣言するのである。
では、何故血液は固まってしまうのか。それは、血液に含まれる赤血球と血漿が鍵である。この赤血球中の蛋白質を凝集源、血漿中の蛋白質を凝集素というのだが、凝集源はAとBに分けられ、凝集素はαとβに分けられる。この凝集源と凝集素が有無で血液型が決るのだ。
A型は凝集源Aを持ち、凝集素βを持つ。B型は凝集源Bを持ち、凝集素αを持つ。AB型は凝集源AとBを持ち、凝集素は無い。またO型は凝集源も持たず、凝集素はαβ の両方を持つ。
凝集源 | 凝集素 | |
---|---|---|
A型 | A | β |
B型 | B | α |
AB型 | A・B | --- |
O型 | --- | α・β |
血液の凝固とは、異なる血液が流れ込んできた時に、凝集素が血球を固まらせるのだ。しかし、血液の凝固を判断する凝集源を持たないO型は誰にでも血を分ける事ができる。「万能の給血者」と呼ばれるのもそこからである。つまり、凝集源を両方持つAB型は誰からでも血を貰える「万能の授血者」なのだ。
では、何故この4種類の血液型は統一しなかったのだろうか。もし、全員が同じ血液であったならば、誰にでも輸血ができて便利ではないか。病院の前で「B型の血液が不足しています。」という看板を出さなくても良い。ただ「血液が不足しています。」と書いて、街行く人を捕まえて、ボランティアの名の元に献血してしまえばいい。そう、血液型は4種類も有るが故に特定の人間に絞られてしまう為、献血は志望者になってしまうのだ。
しかし、血液型が世界統一される日は無いとはいえない。現に、世界で一番少ない血液型はO型である。もちろん血液が劣勢である為、子孫を残す時点で片親がO型以外の血液型の場合、その子供がO型で生まれてくる確立は低い。
とは言え、そんな事が繰返されれば、いずれO型が居なくなってもおかしくない話ではないか。しかし、自然界の力は計り知れないもので、一般にA型と呼ばれる血液ならばAAとAOで表現されていると、中学生の遺伝の授業で習った事と思う。
つまり、AO(A型)とOO(O型)の両親の子供はA型(AO)かO型(OO)になる。その割合が3:1の確立である。この論文を読む人の中に両親はA型とB型なのに、自分はO型だという人は居ないだろうか。その人は両親が共にO型の劣勢因子を持っている事になる訳だ。
これが劣勢であるO型がなかなか減らない理由である。しかし、これは交配時の血液の受け継ぎであって、これから問題にされるのは血液本来の問題である。
O型には劣勢因子であるが故に特定の病原菌にかかりやすい性質がある事が分かっている。代表的なのが黒死病で有名なペストである。何故ペストにかかり易いのかと言うと、病原菌がO型の蛋白質と酷似しているからである。故に体内に病原菌が侵入して来た時、体は血液と同じ形をした蛋白質な為誤認してしまうのだ。
その事実として、ペストが長期に渡り蔓延した東南アジアではO型の人口が至極少ない。つまり、いつ未発見の病原菌が蔓延し、それが特定の血液蛋白質と酷似した形であったら、その血液型の人口は激減してしまうか解からないのだ。
確かに、この様な異常事態が発生する可能性が有る事を予測し、大自然の力で4種類の血を分けたのかもしれない。そうする事で、極端に人口が減ることを防ぐ事ができるのだ。そう考えると血液型は実に高性能に作り上げられた物だと思いはしないだろうか。
自然界の偉大なる力によって区分された我々であるが、その自然のバランスに背くような行為をした時、自然界の逆鱗に触れ、ペスト等による自然淘汰等が起こるやもしれない。
考えるに血液型とは、自然界と我々を結ぶライフラインなのかもしれない。その紐が切れる時、ペストで人口の1/4が失われた様に、山済みになった死体を目の当りにするのだろう。そうならない為にも、自然界のバランスを崩すような行為は控え、我々人間も自然の一部で有る事を再確認する必要があるのではないだろうか。
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