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アニメの主題歌

投稿者:ヤウジロウ氏


皆さんはアニメを見た事が、または今現在でも見ているだろうか。日本のアニメの歴史は古く、TVが白黒時代から動かしていた。その為か、今や日本のアニメは世界中から注目され、その時術力の高さが評価されているのだ。

現在、世界で放送されている日本アニメもある。日本から始まり、今では世界中でその名を知られている「ポケットモンスター」通称「ポケモン」である。元々ゲームソフトから誕生したアニメなのだが、登場するモンスターの可愛さや、大人から子供まで楽しめるストーリーがうけ、終に海外流出を果たす。ポケモンといえば、日本を代表するアニメといっても最早過言ではないだろう。

その他にも、ドラえもんや、ドラゴンボールなど日本でヒットしたアニメが次々と海外へ流れていく。また、日本のアニメは海外の映画業界も注目し、実写では表現出来ないアクションや、深く作り上げられたストーリーを参考にしている映画もあるらしい。特に格闘物のアニメにおいては、「北斗の拳」「ドラゴンボール」などの格闘シーンと重なる部分が多々あることにお気付きだろう。残像が出るほど早く打ち込むパンチや、気を放出して相手を吹き飛ばすなど、映画の特撮技術が追いついた今だからこそできる業なのだそうだ。

さて、海外へ行かずとも日本人ならば大人から子供まで誰でもしている有名アニメは多々ある。「懐かしのアニメ集」などというTV番組で上位にランクインしているアニメに「アルプスの少女ハイジ」や「宇宙戦艦ヤマト」などよく聞く名前があることと思う。これ等のアニメには一つの共通点があるのをご存知だろうか。それは云わば有名アニメになる為の条件といってもいいだろう。

まず、有名アニメの条件は広い年齢層でも理解できるストーリーと面白さが無くてはいけない。また、インパクトも必要だ。では、それらもろもろを含めれば、10年、20年経っても忘れられる事の無いアニメが出きるのか。いや、そうではない。重要なものが一つ抜けている。それは主題歌である。

主題歌とはその歌を聴くだけで、そのアニメが連想でき、且つ内容も多少判るものでなくてはならない。宇宙戦艦ヤマトが良い例だ。主題歌だけでアニメの第2話分くらいをまとめてしまっている。そのお陰で、途中から宇宙戦艦ヤマトを見た人でも、主題歌を聞けば何故ヤマトが宇宙へ飛び立ったのかが良く判るのだ。

また、大まかなストーリーを歌わないで、主人公の特徴を歌ってもよい。こちらの例を挙げるのならば、「ドラえもん」がいいだろう。主題歌自体に頻繁に使う未来の道具を取り入れたり、ドラえもん自体がどういったキャラクターなのかも良く判る詞になっている筈だ。

これらを総合評価すると、主題歌がそのアニメを歌っている作品はヒットしているということだ。特にその傾向は昔のアニメによく見られ、「妖怪人間ベム」や「黄金バット」、「ガンバの大冒険」「カリメロ」「みつばちハッチ」など、条件を満たした作品が多いのに気が付く筈だ。つまり、主題歌はその作品の顔であり、アニメに絡ませたものでなくてはいけない。冒頭で挙げた「ポケットモンスター」もその主題歌は主人公サトシが冒険に出る旅立ちを歌った歌である事に気付く筈だ。また、ストーリーや、主人公の特徴を歌わずとも、アニメのタイトルを歌に取り入れる方法も効果がある。

昔のアニメで有名な作品が多いのは、もちろんストーリーが非常に立っているのもあるが、やはり主題歌の判り易さから来る、アニメへの入り安さがあるのではないだろうか。それに比べ今のアニメは格好良さや、流行の歌、歌手を使う事で人気を獲得しようとしているように見える。流行り物に手を出すあまり、主題歌が次々と変わり、その為コレといった代表の歌が無いので、最終的に作品全体の印象が弱くなるのだ。つまり、大ヒットのアニメを作りたいならば、ストーリーはもちろんの事、主題歌を徹底した方が良いということになる。

逆にいえば、これからのアニメで主題歌が判りやすく、大ヒットの条件に当てはまる作品が出てきた時は、そのアニメは将来有名作品になるという証拠であり、最近のアニメで言うと、「とっとこハム太郎」などがそれに当てはまる作品といえよう。この作品の主題歌は、主人公を歌った歌であり、且つ、単調で覚えやすく一度効いたら忘れられないメロディーである事に気が付く筈だ。

以上のことから言えるのは、流行りもの歌手にエンディングを任せた「ドラえもん」はこの先どうなるか不安であるということだ。オープニングは今まで通りの歌をカバーしているが、エンディングだけが、何を思ったか流行歌手に任してしまっている。その歌を聴いていて思うのは、子供に夢を与える歌というよりかは、愛だの勇気だの友情だのを歌っている様に感じるのだ。本来、ドラえもんというアニメは、子供に夢を与えるキャラクターで売っているのではなかったのだろうか。それがいつの間にやら、友情や勇気、終には世界平和にまでなっている。新しくスタッフが作った作品はそっちの方が強く、「ドラえもんが出す道具で今日はどんな事が起きるのか」というワクワクドキドキの夢が無いのだ。また、昔のドラえもんには「のびた君の様に楽をしようとすると、必ずツケが回ってくる」という教育も含まれていた。が、それが今の作品には微塵にも感じられないのも非常に残念である。

また、他のアニメも同様に、メッセージ性が直球すぎて考えを押し付けているものが多いのが気になる。歌詞で言うならば「世界のみんなで大きな輪を作ろう」だの、「世界が一つになるまで」など、直球勝負が多すぎる。つまりそれは戦争の裏づけでもあり、果たしてそこに本来与えるべき「夢」が有るのかと問いたいのだ。

子供たちに押し付けるのではなく、子供等が大人になったその時代には、もう今訴えたい未来を作り上げてこそ、ではないだろうか。つまり、今の子供達に願いを託すのではなく、自分達で築き上げなくてはならないことに気がつかなくては、その作品はいずれ消滅する事であろう。

昔の有名な言葉で「よく遊び、よく学べ」とあるが、まったくその通りなのである。

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